近似トレバ虚構

実験的創出Blog

fast morning|叙事情#9

 
 晩秋の或る日曜の朝七時半、何故か無性に朝マックを食べたくなった。その願望は唐突だった。最近、私の周りで朝マックが話題に上がったという訳でもない。強いて言えば、随分前に会社の同期が朝マックを食べた話をしたことと、先月読んだ大﨑洋の『居場所。』のハッシュポテトの文章が印象に残っているぐらいだ。あと、木村拓哉マクドナルドのコーヒーを飲むCMも思い出した。
 
 休日の朝の活力と倦怠が入り混じった頭で、私は行くか行くまいか少し考えた。休日に朝マックを食べるなど、今まで浮かんだことのないアイデアだった。そのことに、私は自身の深い内部からの要求を感じ取り、自然と家を出る支度を始めた。
 
 支度と言っても、少し外出するだけなので服装にこだわりはない。休日の部屋着に、手ごろな緑のジャンパー、もう何年使っているか分からないボロボロのリュックにスマホと財布を放り込む。ここで、せっかくなら少し有意義な朝にしてみようと、家計簿をつけるためのレシート入れと、昨日図書館で借りた笹公人の歌集、そしてノートパソコンをリュックに入れた。ノートパソコンは、時間があったらコーヒーをすすりながら文章でも書いてみるためのものだ。まだ布団を被っている家族へ一言告げ、ボロボロの黒いシューズを履いて家を出た。
 
 
 日が出て間もないこともあり、冷たい大気が肌に刺さる。街では紅葉が盛りになっているが、すでに冬に片足を入れているように思える。ただ、日ごろは恨めしいこの冷気が今は心地が良かった。まだ眠たげな脳みそに冷や水を浴びせる気持ちで、両手を広げ鼻から空気を目一杯に取り込む。一〇年以上使い込んでいるママチャリにまたがる。見ると、ボディが黒く汚れていた。拭いてあげないといけないなという思いを胸にしまって、ペダルをこぎ始める。
 
 最寄りのマクドナルドは、自転車で一〇分もかからない距離にある。日曜の朝ということもあり、車も歩行者もまばらだったが、お揃いのネックウォーマーを身に付け歩くカップルが目についた。その服装の暖かさに、自分の手の冷たさを意識した。金属のブレーキレバーがとても冷たく、そろそろ手袋を用意した方がいいだろうと思った。歩道では日蔭と日なたが交互にやってくる。日蔭は冷たく、日なたは少し暖かいがやはり冷たい。体の冷えを覚えるほど、ホットコーヒーへの恋しさが高まる。
 
 
 マクドナルドに到着した。車が数台停まっていたが、店内は空いている。駐輪場近くで落ち葉を掃いているクルーの女性と挨拶を交わす。その時、自分がその人を「店員」ではなく自然と「クルー」と認識していたことにハッとした。「クルー」は店舗スタッフの総称として一般的にも用いられる単語ではあるが、私はこの言葉をマクドナルド以外で用いられている場面に出会ったことがない。それほどに、私の中での「マクドナルド」と「クルー」という事象の結合は非常に強いのだろうと感じた。この結合の強さは私自身の傾向か、それとも企業のプロモーションの賜物か。私は日頃からマクドナルドに直接触れる機会がそれほど多くない人間である以上、おそらく後者の影響が大きいのだろう。このように、企業は一個人の思考に対する多大なる工作を、日常の中で密かに進めているのではなかろうか? その工作はあまりに繊細で、社会に溶け込み過ぎているため、私たちは気づかぬままに多くの影響を受けている。「人は一日に数千の広告を目にする」とはどこかで見聞きした話だ。その一つ一つの効果は微々たるものだが、それらが毎日、絶え間なく、今この瞬間も脳に流れ込んでいるとしたら、全くの影響を受けないことは不可能だろう。もしかしたら、私が今日唐突に朝マックを食べたくなったのも、気づかぬところで密かに行われていた工作が結実したからかもしれない。私の行動は全て、そのように何か別のものから運命づけられているのだろうか。常に何かから影響を受け続けるこの世界で、自由意志は存在し得るのだろうか。
 
 そんな憂鬱な思考が働いたとしても、いま私が朝マックを食べたいという意思は揺らがなかった。自転車から離れ、店のドアを開けた途端、視界が酷く曇った。この時、私が眼鏡をかけていたことを今更ながらに強く意識した。店内は暖房が効いていて暖かかったが、そのせいで冷たいレンズで結露したのだ。見渡すと、空いているテーブルがいくつかあったが、だいたいのテーブルを年配の男性が一人で占めていた。各々新聞を読んだり、何か作業をしたりしていた。限られた視界でレジに向かうと、厨房にいた女性のクルーが「いらっしゃいませ、おはようございます」と言いながらレジについた。挨拶を返しながら、メニューを眺める。注文はホットコーヒーとハッシュポテトと決めていたが、一応ちゃんと存在するか確認したかったためメニューを探すが、なぜかホットコーヒーを見つけられなかった。あまり待たせてもよくないと思ったため、「コーヒーを一つ…」と自信なさげに呟く。
 
「ホットコーヒーですね。サイズはSとMありますが―」
 
「あー…、Sで、お願いします」
 
 その後、一瞬間が空き、注文確定と思われそうだったため、「あと…」とすかさず呟きながらメニューからハッシュポテトを探した。苦戦したが、こちらは左下に小さく書いてあったのを見つけた。ただ、実はこの時まで「ハッシュドポテト」と思っていたのだが、マクドナルドでは「ハッシュポテト」なのだった。
 
「ハッシュポテトを一つ…、以上で、お願いします」
 
「ホットコーヒーのSをおひとつ、ハッシュポテトをおひとつ。お会計二七〇円になります。店内でお召し上がりですか?」
 
「はい、お願いします」
 
 値段は気にせず頼んだのだが、安いなと思った。カフェであればコーヒー一杯でもっと高そうだった。小銭を取り出そうとするも、レンズがまだ曇っており、探すのに時間がかかった。そして探したあげく小銭が足りないことに気づき、結局千円札で支払った。「20」と書かれた札を渡され、テーブルに促された。
 
 日が良く射している四人席に座る。外食慣れしていないのもあり、レジでもたつく。スローな休日の朝にしようと思ったが、心は焦りがちである。そもそも、この店自体が「ファストフード」にふさわしく忙しい雰囲気が漂っているように思えた。店内の熱気、クルーの口調、厨房の物音、次々と入ってくる車、客…。普通の人であれば気にならないであろう要素に、私は急かされるような心地がした。一息つき、リュックからレシート入れを取り出し、今月分の家計簿をつけていく。思えば、この作業自体がそもそもスローな朝を過ごす人間の発想ではないだろうと思い、苦笑した。
 
 その間に五分も経たないうちに注文のものが届いた。カップに入ったコーヒーと小振りなハッシュポテト。大きなプレートに対してこじんまりとしているが、私にとっては朝に外食をする時点で贅沢であった。カップの口を開くと、湯気とともにコーヒーの香りが広がった。カップの熱を両手で包み込んで、火傷しないようにゆっくりと口に伝え、舌で転がす。味はいたって普通のコーヒーだが、特別な感はあった。次にハッシュポテトを小さく噛み、その細かいポテトを一つ一つ味わう。このマイナーな感じに惹かれるものがあった。フライドポテトやナゲットなどの主流からは少し外れた傍流。独り占めしたいと思わされる手軽さと深さ。それでいて、朝の時間帯しか食べられないという表舞台に立たない謙虚さも、根強いファンがいることを裏付けているように思えた。ただ、揚げ物とコーヒーは私にとっては少しミスマッチだった。
 
 この二つを少しずつ嗜みながら、家計簿の作業を進めた。それが終わりかけ、予想よりも出費がかさんでいることに落胆したところで、レジに少し列ができるほど客が来ていることに気づいた。店内を見渡すと空いているテーブルは一つしかない。この状況に私はまた急かされているように感じた。四人席に一人座っている客は私以外にも数人いたが、なぜか私に「どいてくれ」と言われているような気がした。本当はゆっくり本でも読みたかったが、焦りながら読むのも気持ちよくないだろうと思い、残っていたコーヒーを飲み干し、早々に店を出た。
 
 
 店でゆっくりするという行為は、私には向いていないのかもしれない、と帰り路に自転車をこぎながら考えた。私は性格上、どうしても周りの状況が気になってしまう。それに、両親が飲食店を営んでいることもあり、長く居座る客の愚痴を度々聞かされているため、その行為がいかに店に迷惑をかけるかも承知していることが、私の焦りを助長するのだろう。まして「ファストフード」という店舗形態は、客の回転率の高さが売りである。長く居座る客の悪影響は、両親のそれより大きいだろう。
 
 ゆったりとした休日の朝を送ろうと思いきや、平日以上に急かされる朝となった。ただ、朝マックの優越感は本物だった。これを穏やかな心で享受できない私は、幾分か損をしているのだろうか。