近似トレバ虚構

実験的創出Blog

舞台と命|夢判断#13

 

 気が付くと、広いホールの席に私が座っている。照明が落とされていて辺りは薄暗く、目線の先にある舞台だけが光を放っていた。私の目にそれは小さく映っていることから、自分が最後列近くに座っていることが分かる。舞台ではまだ何も行われておらず、まばらに空席ができていた。

 私は舞台を見に来た客のつもりであったが、何故か客をもてなす側の人間、要するにスタッフとして扱われていた。私以外にもそのような人間はいたが、全員男性であるところに違和感を覚える。我々は「ボーイ」と呼ばれていた。上の者に束縛され、いくつかの命令に従う必要があるようであるが、給与は出ないとのこと。どうやら奉仕活動であるらしい。周りの男たちはこの状況を当然のように受け入れている。私が戸惑う素振りを見せると、隣にいた男に声をかけられる。
「私たちはお客様に気持ちよく舞台を見ていただくための振る舞いをするのです。」
 その単調な口ぶりは丁寧であるが、感情を捉えにくく、不気味に思えた。薄暗い中、その顔を確かめると、自分と同じぐらいの年齢に見える。似ている人間が会社の同期にいた気がした。


 舞台の開演まではまだ時間があるらしく、その間我々ボーイは接客やマナー等の指導を受けた。指導をしていた女性の言動は高圧的に感じられる。きっちり固めた短髪や、鋭く細い目、蛍光的な口紅、ホテルマンのような服装なども、その高圧的な要素を高めていた。指導が始まってしばらくし、時計を見ると午後五時であった。この時、私は唐突に午後六時から友人と食事をする約束があったことを思い出した。そして、なぜ私はこの場にいるのか、余計に分からなくなった。とにかく、約束をしている以上、午後六時になる前に隙を見計らって、この場から抜け出す必要がある。


 開演時間が迫ると、興奮の笑みを浮かべる女性らが流れ込むようにホールに入り、各々の席に着く。先ほどまで客席の後方に集まっていたボーイは点々と散らばり、客と混ざるように席に着いた。私は最初とほぼ変わらない、最後方の席に座る。

 舞台が始まった。出演者は「美少年」と称するべき顔の整った男性俳優ばかりで、剣術等の派手なアクションが続く。客がほとんど女性であったことに頷けた。それ故に、とても私の趣味に合うものとは思えなかった。この会場に来るまでの記憶が全く無かったため、なぜ私はこの舞台を見にこようと思ったのだろうと、つくづく分からなかった。
 舞台俳優が印象的なアクションや台詞を決めるたびに、客席からは甲高い歓声や拍手が湧く。我々ボーイはそれらに合わせるように、めいいっぱいの拍手を送る。これは舞台を盛り上げるための”サクラ”としての役割なのだろうか。私にはサクラなど必要ないほどに、盛り上がっているように思えるのだが。しばらくそのようにボーイとしての仕事を全うしていると、見回りをしていた女性から私だけ拍手を制止された。
「命を張っていないのでしたら、拍手はしないでください」
 全く理解ができなかったが、その高圧的な態度に蹴落とされたように私は拍手を止めた。周りのボーイは私に構うことなく、拍手を続けている。よく見ると、私以外の観客は何かを首から下げていた。ホール全体が揺れ動く程の拍手が響く中、私だけが何もできずただ座っているだけだった。私は確かな屈辱を感じていた。


 ここで先ほどの「命を張る」というのは、ある種の課金制度なのではないかという考えが浮かんだ。そうだとしたら、なるほど立派なビジネスだ。このホールにいる観客全体はいま共同幻想に包まれている。舞台の上で繰り広げられる別世界に身を置く幸福な幻想だ。この幻想の中だけでは、ホールの外に無限に広がる醜悪な現実のことなど一切忘れ、自分の理想的な世界のみを味わうことができる。そんな空間から排斥されることはどういう意味を持つのか。強固な共同幻想からの孤立を感じれば、どんな人間でも居た堪れなくなる不安と羞恥を覚える。それを避けられ、確実に幻想に浸れるシステムが「命を張る」という選択肢なのだろう。確かに、いま周りで狂ったように歓声と拍手を舞台に捧げる人間どもは命を削っているように見える。それも自ら進んで命を削っている。命を削ることに幸福を覚えている。その空間で何もできなければ、その人間は命を弄んでいるように感じられてしまう、今の私がそうだ。


 時計を見ると、すでに午後七時を回っている。この時、友人との約束は、実は明日であったことをふと思い出した。だとしたら、私はやはり自分の意思でこの舞台を見に来たのだろうか。今もなお熱狂に包まれるホールの最後列で、私だけが静かに舞台を眺めていた。