"物事"から離れたかった。
この世界に生起する全ての物事は"他"によるものであり、"自己"が生むものなど存在しないことを私は悟った。私の人生は"他"との関係よって構成され、定められ、(その終わりさえ!)自分で決められるものは一切ない。「自由意志」などというものは幻想に過ぎないのだ。
-ならば、"他"の存在しない場所へ向かうのは、どうだろうか。自分しか存在しない世界である。"他"との関係を全て断ち切れば、そこにあるものは"自己"だけである。もう私を操るものはいない。
今、私の目の前に広がる霧の向こうを想像した。私の視界は閉じられるが、無限に開かれる。全てが曖昧で、自分すら認識しにくくなるだろうが、それで良いのだ。"他"は曖昧と化す中、確かに"自己"だけは存在している。
素晴らしい世界ではないだろうか。ただ自己のためだけに生きることができる。生きる目的など必要ないのだ。目的も"他"なのだから!
それにしても、"自己"とは何だろうか。私が"自己"だと思っているそれは、本当に"自己"なのだろうか。そもそも、"自己"という概念そのものが、"他"から譲り受けたものでなかったか。あぁ、なんてことだ。私も"他"ではないか!待て、私は先ほど述べた理想郷を「素晴らしい"世界" 」と呼んだ。"世界"は"他"であろう。私の理想とする場所もまた"他"であったのだ。"場"自体がそもそも"他"であるのだ。
この世界に"他"でないものが存在するとしたら、誰のものでもなく、私のものでもないものが存在するとしたら、それは"無"しかない。
この世界は、果てしない。