近似トレバ虚構

実験的創出Blog

受け身消費|出力#10

 

 仕事から帰宅した。ようやく自由な時間を過ごすことができる。

 

 おもむろにスマホを手にし、Twitterでトップに表示されたニュース記事を辿る。時事を一通り確認し終えたら、ソファに座ってYouTubeを開き、登録チャンネルの更新動画を一つ見て、そこから関連動画をしばらく辿っていた。日が暮れてきたの確認したのと同時に、ソファから立ち上がった。Spotifyを開き、自分へのおすすめの楽曲をまとめたプレイリストをシャッフル再生で流しながら、夕飯の準備を始める。今日は普段通っているスーパーで「鍋フェア」なるものが行われており、鍋に関連する商品がセールとして割安になっていた。そろそろ肌寒くなってきたこともあり、自分の気分と一致して、今日の夕飯は一人鍋にすることにした。鍋の調理が完了し、食卓へ並べると同時にPCを起動し、Netflixを開く。何を観ようかとホーム画面をスクロールしていくと、「海外ドキュメンタリー」のカテゴリーに気になる番組があったため、それを観ながら鍋を楽しんだ。

 

 食事を終え、食器洗いも済ませると、風呂を沸かし始めた。その間、スマホを手にソファへ寝ころびInstagramを開いて友人や著名人の投稿を流し見する。そうしながらふと、ある友人のことを思い出した。そういえば最近投稿を見ないなと思い、彼のプロフィールにアクセスしてみる。その画面に私は目を見張った。彼は二時間前に新たな投稿していたのである。私は少し戸惑った。なぜなら、私は毎日この時間にInstagramの更新を確認しており、昨日から今日のこの時間までの投稿は全て確認したはずだったからだ。しかも、彼は今日だけでなく、昨日も一昨日も投稿しており、ほぼ毎日更新していたらしいのだ。アプリの不具合かと疑い、Googleで検索をかけてみた。すると、これはInstagramのレコメンドアルゴリズムの仕様によるものだと分かった。フォロー数が多いと、アプリへのエンゲージメントをより高めるために、ユーザ―が反応しやすい投稿をホーム画面に表示させやすくし、あまり反応しない投稿の頻出回数を少なくするようにアルゴリズムが働くとのことである。

 

 この事実を知り、私は複雑な感情になった。私が自分の意思で選択し、消費していると思っているものは、実は全て他者から与えられたものなのではないか?私は自分の行動を振り返った。そして、私がいかに自分から手を伸ばしていないかということを知った。トップに上がるニュース記事、YouTubeの関連動画、Spotifyのおすすめプレイリスト、スーパーのセール、Netflixのホーム画面…。今思えば、机の傍らに重ねてある本も全てAmazonの「閲覧履歴に基づくおすすめ商品」から選んだものだった。いや、それは「選んだ」とは言えない。全て「選ばされている」ではないか!自分から手を伸ばさず、向こうから差し出してくるのをただ手に取るだけの消費者。家に帰って来てからのほんの数時間の中だけでも、全く自発性の無い、完全なる「受け身の消費」を私は繰り返していた。今のこの世界で、真に自分の意思で選択し、行動するためにはどうすれば良いのか。それを成すためには、“利便”が全て「障害」となり得ると考えると、「生かされる」ことから脱却して「生きる」ことは、非常に難しい。