近似トレバ虚構

実験的創出Blog

生きやすい体|解釈#4

 

 

 

 この体はとても生きやすい。背が高く、高い所に手が届く。身体が細いため、人混みでも通り抜けやすい。腕が長いため、床に何かを落としても、姿勢を崩さず取ることができる。指先が細いため、何事も器用にこなせる。体重が軽いため、長時間立っていても辛くない。他にも、私の気づかないところで、この体の恩恵を受けているのだと思う。この体はとても生きやすい。

 

 ただ、この体はとても生きにくい。人と異なる、それが全てである。今日も何度侮蔑的な視線を向けられたか、分からない。視線だけならまだしも、接客の対応から、仕事の量や改札口に至るまで、私は不当な扱いを受けているように感じることがある。

 

 なぜ彼らは異質なものに対して、嫌悪感を示すのか。危害を加えない虫に対して嫌悪感を抱くのと、その心象は同じである。人間は根源的に異質なものを避ける。古来、人間は身体的な能力においては最下層に属すほどの種族であったため、同質的な共同体を形成し、戦略的に行動することでしか生き残ることが出来なかった。それゆえに、人間にとって自分と異質なものとは、共同体全体の生命に影響するものであり、それらを排除することで共同体の同質性を維持する必要があった。その名残は現代まで受け継がれている。

 

 ただ、それは人間が野生動物などの脅威に囲まれていた、古代の話である。今や、人間は地球の管理者の地位に君臨しているではないか。既に、同質性が無くとも、いや「人間」という種族であるだけで同質性は担保されていてもいいはずである。

 

 それでも、ある者を侮蔑し、排除する現実が存在するということは、今の社会はそれ無しに成り立たないという証明か。我々“異質者“は、生まれながらにしてその役割を背負っていたのか。もしそうだとしたら、私はこれまでどんなに貢献してきただろう。報いを受けていいはずだ。報いとは…。

私にとっての報いとは、この体?