近似トレバ虚構

実験的創出Blog

流血|叙事情#2

 

すっかり日の落ちた夜、私は自転車で帰路についている時であった。ゆるやかな坂を下っていくと、車道と歩道の境界に数人集まっているのが見える。白髪の男性が横に倒れ、傍には自転車も倒れており、それらを男性二人が囲んでいた。明らかに異様である。さらに下ると、その全貌が現れてきた。白髪の男性は仰向けに倒れ、口を開け、意識があるようには見えなかった。二人の男のうち、一人は倒れる男性の頭に触れ、もう一人は電話をしているようであった。その内容を一言だけ聞き取ることができた。

 

「頭から出血しているようです」

 

真っ暗だから分からなかった。倒れている男性は出血していたのだった。もう少し坂を下ったところにハザードランプを点灯させた車も止まっている。二人の男のものだろうか。

 

私は立ち止まって声をかけようと思った。実際、停止する寸前まで速度を落とした。「大丈夫ですか」という言葉が喉のところまで出てきた時に、踏みとどまった。大丈夫なわけがない。この状況にその言葉は慰めにすらならず、かえって二人の男の手間を増やしてしまうのではないか。そもそも、私が介入することによって何ができるというのだろう。これまでも、変に首を突っ込んで場を乱したことがあったではないか…。おおよそ、このような口実を頭の中に並べたことで、私はその場を通り過ぎることしかできなかった。冒頭からここまでの間、三秒にも満たなかった。

 

少し坂を下ったところで、信号に捕まった。信号が切り替わる間、私は先ほどの自分の行動と思考を恥じていた。真横で止まる寸前まで速度を落とし、無言で立ち去った様は、興味はあっても関心は無い人間の典型ではないか。気づいていないふりをして、そのまま通り過ぎた方がまだマシであったように思えてきた。それに、先ほどの口実の情けなさ!あれらは私の本心であると同時に、本当の理由はまだ別にあったような気がする。今からでも引き返して声をかけようか…。そう思った矢先に、先の方からサイレンが聞こえてきた。救急車である。私は安堵したと同時に、自分の出る幕がいよいよ無くなったことに無力感を覚えた。

 

あの場から遠ざかる間も、私は動揺を隠せなかった。あれが白髪の男性と二人の男性の間で起きた事故だったのか、それとも先に白髪の男性が倒れていて、偶然二人がそれを見かけたのか、真相は私には分からない。ただ確かなのは、私があの場から離れた最も大きな理由はやはり別にあったことだった。私がいま頭に浮かべているのは、先日亡くなった祖父である。

 

祖父は急死だった。朝なかなか起きてこなかったため祖母が様子を見に行ったところ、仰向けに倒れて頭から流血した状態だったという。体はすでに冷たかったらしい。その場に居合わせられなかった私は、これまでその状況を想像するしかなかった。ただ、先ほどの白髪の男性に祖父を重ねるには、その記憶との距離はあまりにも近すぎた。想像で埋めるしかなかった祖父の死に目に、確かな実体が注ぎ込まれた感覚を得た。その感覚はあまりにも生々しかった。

 

目の前の交番から赤くランプを点灯させたパトカーが出てくるのを見て、我に返った。私はこのパトカーはあの現場に向かうのだと確信した。祖父が亡くなった日、それは「事件」として処理され、前日に会っていた祖母や私の母などは警察から疑いの目を向けられながら半日に渡って問い尋ねられたと聞いた。今、私の横を通り過ぎたパトカーは、そして夜の街を赤く染めたそのランプは、祖父の最期だけでなく、私にその最期の「一日」をも突き付けた。