近似トレバ虚構

実験的創出Blog

粒子の旅路(三)|夢判断#11

 

 この国に来てから、私は宿泊について何も考えていなかった。しかし、あの食堂で私と談笑していた男性が偶然にも民宿を営んでおり、今日は空いているからうちに泊まっていけと言うのだ。なんという幸運。私は喜んでお願いし、民宿まで案内してもらった。民宿は夫婦で営んでおり、二人とも恰幅が良く、笑顔が素敵だ。異国で過ごしてすっかり疲れ果てており、その日は風呂も入らずに寝てしまった。

 

 翌朝、ハットさん(泊めてくれた男性のカウボーイハットが印象的だったので、私は「ハットさん」と呼んでいた。)から宿泊料の代わりとして手伝って欲しいことがあると頼まれていたため、朝食を取った後に出かける準備をした。

 

「あの男たちに飛びかかる度胸があるなら、きっとこの仕事もこなせるはずさ」

 

目的地に向かう途中でハットさんはこう言った。それほどの力仕事なのだろうか。内容を聞いたところ、害獣駆除だという。ハットさんは国全体で組織される調査隊に属しており、砂漠に大規模の害獣が現れたという連絡が先日入ったため、今日は集団でその駆除に当たる日だったのだ。そんな重大な仕事によそ者で素人の自分が加わっていいのかと私は言ったが、ハットさんはこう答えた。

 

「大丈夫だ。この仕事に必要なのは度胸とスタミナだけだ。第一、私も駆除は今回が初めてだ」

 

私は苦笑いでしか答えられなかったが、大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう。私はハットさんの言葉を信じた。この仕事が予想をはるかに上回る壮絶なものだとは、この時の二人はまだ知らなかった。

 

 調査隊の集合場所に着くと、すでに多くの人が集まっていた。百人はいそうだ。集合場所の目の前には水平線が見えるほどの砂漠が広がっていた。みな肌が黒い中、私だけ異なる色の肌をしているのは気まずかったが、すでにこの国に受け入れられている私が疑念の目を向けられることはなかった。全員が整列すると、前に軍服を着た人が歩み出て語り始める。どうやら調査隊の指揮官らしい。

 

「今回、砂漠に出現したとされる生物に関する詳細は今もなお不明である。目撃者からは、数十メートルに渡る巨大生物というという声もあれば、豆粒ほどの小さな虫という報告もあり、生物種を断定することが難しい。しかし、いずれの報告に共通しているのが、飛行し、高速に移動するということだ。人体への危害は不明であるが、無理な接触は避けるように。皆の無事と安全を祈る!」

 

 指揮官からの説明を聞き、なんだかとんでもないことに関わってしまったという思いがした。隣のハットさんは鼻歌を歌って余裕そうだ。ハットさんだけでない、周りの人々全員から緊張というものを感じない。この国にとっては日常茶飯事なのだろうか。そう考えているうちに、調査隊一人一人に消火器のような形状の放射器と薬剤が詰まったタンク、そしてガスマスクが運ばれる。どうやらこれで駆除をするらしい。ガスマスクは常に着用しておくように言われた。各々、タンクと放射器を連結させ、それらを背負い、ガスマスクを装着している。私も周りを見習いながら準備を進める。

 

 いよいよ駆除活動が開始された。六部隊に分かれて、主に目撃報告のあった場所を中心に車や歩きで捜索する。ある部隊がそれらしき生物を発見すると、他の全ての部隊に無線で連絡が入り、そこへ集結して駆除を開始するという流れだ。私が属する第四部隊は十名で構成され、隣には常にハットさんがいた。歩みを止めずに辺りを見渡すが、相変わらず砂漠が広がるのみである。燃え盛る太陽とタンクの重みと砂の足場で体力が蒸発していく。しばらく進むと、先頭を歩いていた部隊長が手を上げ我々を制止した。何かに気づいたようである。確かに先ほどまでは無かった物音が聞こえる。風の音にも、車の音にも、飛行機の音にも聞き取れる物騒な音だった。音は徐々に大きくなり、近づいている。音だけでなく大気の振動も肌に伝わってきた。尋常でない気配を感じた。胸騒ぎがした。汗が首を伝った、暑さのせいではない。私は恐怖を感じていた。

 

「総員、構えろ!」

 

部隊長が声を荒げた瞬間、物音の正体が明らかとなった。確かにそれは飛行し、高速に移動し、豆粒にも、数メートルの怪物にも見えた。蠅の集合体だった。一匹一匹は小さいものの、それが数える気にもならない程の群れを成しており、ブラックホールのように渦巻く巨大な一つの生命体として砂漠に君臨していた。先ほどまでとは比べ物にならない轟音を立て、我々の元に向かってくる。部隊長はすでに他部隊と無線を繋いでいた。

 

「こちら第四部隊、対象を確認した! 数メートルに渡る蠅の群衆だ、すぐに来てくれ!」

「第二部隊はすでに駆除に入っている!」

「第六部隊でも確認した!」

「第一部隊は第三部隊とともに駆除を開始している!」

 

なんと他の部隊でも同様の生物とすでに対峙していると言う。ここまで同時に対象が現れるのは想定外であったらしい。第四部隊長が動揺しているのが目に取れた。すぐさま連絡のない第五部隊へ無線を繋げる。

 

「第四部隊から第五部隊へ! こちらで対象を確認した! 手が空いていれば合流してくれ!」

 

第五部隊からの応答はない。

 

「第五部隊応答しろ! 何かあったのか!」

 

蠅の集合体はすぐそこまで迫っていた。

 

「クソッ、やむを得ん! 第四部隊、駆除を開始せよ!」

 

 待ちかねていたと言わんばかりに私の周りにいた者たちが一斉にガスを放射し始めた。私は距離を取った後、放射を開始した。しかしこの規模、十名でどうにかなるものとは思えなかった。砂の地面が黒く染まる程、確かに蠅は死んでいるはずなのだが、一つの集合体として見ると最初に姿を現した時と全く変化が見られなかった。青空が広がる砂漠の空中で黒い物体が轟音を立てて渦巻く様子は見るからに異様で、畏怖の感情を喚起させる。私たちは必死に放射し続けたが、先頭の方にいた部隊長と二人の隊員がその黒い渦に飲み込まれた。渦の中はうっすらと人影が見える程度で、何が起こっているのかは分からない。ただ、彼らが飲み込まれた直後、渦の中から叫び声が聞こえた。その叫びで渦の外にいた私たちは、自分たちが対峙しているのがただの蠅ではないことを悟った。私の右前にいた男が喚き、ガスマスクを外し、機材を捨てて逃げようとした。しかし、その男はすぐにその場にうずくまって、のちに倒れた。それは蠅のせいではない。今、この場には薬剤のガスが充満していた。どうやらこの薬剤は人体にとっても危険なものであるらしい。ガスマスクを常に着用しておくように言われた理由が分かった。蠅の群衆が現れてからまだ三分も経っていない。これらのことが短時間で立て続けに起こったことで、私を含む六人の隊員は、ガスを放射し続けること以外考えられなくなっていた。あのハットさんもガスマスク越しに顔をしかめているのが分かった。

 

 

 我々は最初に対峙した場所からはかなり移動していた。焦りからか、渦に飲み込まれた三人の姿も確認できないままであった。我々は相変わらず渦から距離を取りながらガスを放射し続けるだけであったが、それまでほぼ一定の速度で移動していた蠅の渦が突如として突進するようにこちらへ向かってきた。私は横へ飛び込むようにして逃げた。他の者も同様に避けていたが、豊満な体格をしていたハットさんだけが遅れを取ってしまった。渦に覆われるハットさんだったが、まだ体の半分が渦の外に出ていた。

 

「助けてくれ‼」

 

そう叫んで開いたハットさんの口に蠅が流れ込んだように見えた。私の体はほぼ無意識にハットさんの元へ駆けていた。助けなくてはならないという考えが頭に浮かんだ時には、渦に飲み込まれようとしているハットさんの腕を掴んでいた。ハットさんの腕を必死に引っ張った。引っ張って、ハットさんの体が渦から出かかったときに、急に目の前が真っ暗になった。意識も遠のいていく。