近似トレバ虚構

実験的創出Blog

憧憬と原罪|現像#5

 

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ずっと鳥になりたいと想っていた。

鳥のように気ままに空に浮かべられたら、どんなに楽だろうか。

鳥の気も知らず、鳥になりたいと想っていた。

 

弱肉強食、食物連鎖の知見を得て、少しは鳥の目を持てるようになった。

鳥への憧れは潰えなかった。しかし鳥も楽ではないのだと、今日を生きるのに必死なのだと考えるようになる。

供給は自分で得る。需要には応えられない。全ての種族は不安定な環境で生きている、人間を除いては。

 

人間は全ての種族を餌にできる。身のまわりの種族を全て食おうと思えば食らうことができる。肉も、草も、菌も、岩も、同族も。資源は理論上は有限だが、感情的には無限である。

人間は環境だけを評価すれば、幸福極まりない。ここまで安定した種族は今の地球上に存在しないであろう。他種族に必須である今日を生きる必死さの余力は、芸術、学問、ビジネス、スポーツ、価値として表出する。

 

実態は不幸である。悩みを抱える人間のなんと多いことか。空を飛ぶ鳥の方がよほど気楽に生きているように見えてしまう。整い過ぎている程幸せな社会の中で生きている人間は、不幸を訴える権利を剥奪されている。これは一種の拷問である。

 

そうだ。これこそが我々の背負った罪、原罪ではあるまいか。神は万物を生み出した。その中で人間のみが広大な文明を形成し、自らを混沌に陥らせた。否、文明は作られたのではない。”文明”こそ原罪だったのだ。文明により自らを複雑化し、複雑化が不可解を生み出す。不可解が人類を悩ませ、苦しませる。しかし、文明は我々を生かす。群集を殺さない。


生き永らえながらも、苦しめる。これが神の創りし原罪のシステムである。

我々は幸福の中で不幸を生み続ける。文明在る限り。