近似トレバ虚構

実験的創出Blog

置き去りの愛|現像#6

 

 

「じゃあね。ごめん」

 

 彼女の背中が、遠くなってゆく。僕はそこから立ち上がることができなかった。ただ、僕の心は彼女を追いかけたい、離れたくないと願っている。体は微動だにしなかった。

 

 僕にとって、誰かと恋仲になったのは彼女が初めてであった。自分から気持ちを伝えた。「いいよ」と返事を貰った時は興奮して有頂天になっていたが、その後どうすればよいのか分からなかったのは、今となっては懐かしく思える。恋愛の経験が無かったなりに、僕は彼女を楽しませようと尽くしてきた。今でもその気持ちは変わらない。今からでも僕は彼女を喜ばせようと努力できるし、きっと僕もそれを望んでいる。

 

 しかし、彼女にとってはもう必要ないらしい。なぜ、彼女の気持ちが冷めてしまったのかは、正直、僕には分からなかった。理由を尋ねてみたが、曖昧にしか答えてもらえず、本心までは語り切れなかったように思えた。いや、このやり取りから彼女の本心を捉えられなかったことが、僕と彼女の関係の象徴なのかもしれない。結局、僕は彼女の表層までしか触れられなかったということなのか。

 

 それにしても、なぜ僕はまだ彼女を愛しているのだろう。彼女との関係は先ほど終わった。彼女は僕を愛せなくなり、それを受け入れたからこそ、僕は彼女を追いかけなかったのではないのか。僕ももう、彼女を愛する必要はないはずなのだ。では、この「愛」は何だ。僕の心に居座っているこの「愛」は何なのだ。「愛」は誰かに与えられてこそ、その役目を果たす。今の僕が抱くこの「愛」は、当然彼女に与えられるべきものなのだ。しかし、今やこの「愛」は彼女には決して届かないから、僕の心に居座ることしかできないのだ。そして、「愛」の役目が果たされなければ、その「愛」は自責の原動力と化す。「愛」を届けられない自分の無力さを責めるようになる。「愛」は人を幸せにするものでもあり、人を傷つける凶器にもなり得る。では、その苦しみから解放されるにはどうすれば良いか。簡単である。その「愛」を捨てればよいのだ。そして、より確実に与えられる別の「愛」を見つければよいのだ。そうだ、その「愛」を捨てれば楽になれる。さあ、捨てろ。捨てろ!捨てろ!

 

 

 届かない「愛」を捨てられないのは、なぜだろうか。僕はこの「愛」をまだ必要としているのだろうか。そうだ、必要に決まっている。なぜなら、この「愛」を与えられていた僕は間違いなく幸せだったから。僕はこの「愛」を持っていた僕自身を愛していたのだ。この「愛」は彼女のものではない、僕のものだ。与えられなくたって、いいじゃないか。幸せだったあの日々は、この「愛」に詰まっている。この「愛」がある限り、彼女の「いいよ」から「ごめん」まで、僕は全てを当時の感覚のまま再認できる。彼女が隣にいなくたって、彼女が置き去りにしたこの「愛」を、僕はいつまでも、何度でも、味わっていければそれでいい。