近似トレバ虚構

実験的創出Blog

愚民ばかりでグミばかり|叙事情#3

 

 私はグミが好きだ。疲れた日の楽しみはコンビニで新作のグミを買うことだ。ただ、今売られているグミのほとんどをすでに食べたことがあると言っても過言ではない。子どものときからお菓子は決まってグミであった。チョコレートやスナック菓子を好む男児が多い中で、自分は俗世とは異なる嗜好を嗜んでいると優越感に浸ることもあった。

 

 グミ好きであることは友人の間でも知られており、時々最近おすすめのグミを教えて欲しいなど尋ねられることもある。自分だけの嗜みを他人に知られるのは癪な部分もあるが、そのようなことを訊かれるたびに、これは自分だけが辿り着いた境地かもしれないと感じるようになった。そのうち、自分のグミ好きをインターネットを通じて伝えたいと考えるようになった。あれだけ他人に知られることに後ろめたさのあった自分が、なぜこう考えるようになったのか分からないが、そう思ったとたんに様々な展望が広がってきた。ブログ開設、SNSで話題、メディア取材、テレビ出演、本出版、ドラマ、映画…?もうブログの名前も考えてしまった。展望を考えることは楽しくて、それだけで満足できてしまいそうだったが、今すぐ始めたいという欲が勝った。

 

 物事を始めるにはリサーチが必要である。もしかしたら、これまでの人生からは考えられないが、自分と同じようにグミを愛している人がいて、すでに人気者になっているかもしれない。他人と同じことをしてもつまらない。というより、二番煎じで話題にならない。そういう考えから、とりあえず「グミ オタク」で検索をかけてみる。毎日グミ関連の動画を上げているユーチューバーが出てきた。チャンネル登録者5万人…?グミだけを伝えるチャンネルで5万人も集まるものなのか…?「日本グミ協会」…?検索をかけてみる。そのHPには100人ほど集まった集合写真がデカデカと写る。公式ツイッターのフォロワーは16万人。会長、副会長。そして名誉会長はテレビにも出演しており、ビジネス書を出版している。「グミ ブログ」で調べると、毎日グミを食し、レビュー記事を投稿するブログが何件も出てきた。その全員が「#日本グミ協会」を肩書きにつけていた。

 

 やりつくされている、と感じた。今から自分も「#日本グミ協会」を名乗って、既存のグミ発信者とは別の切り口でブログ記事を書けば、そのコミュニティ内で話題になるかもしれない。ただ、それは巨大なコミュニティに属して、その主流を基に自分の行動を決定せざるを得ない状況に陥っている。もうこれ以上誰かの下につくのはごめんだ。かくして、私のグミ発信の計画は頓挫した。

 

 しかし、人には「発信欲」というものがあるらしく、何かを発信したいという想いだけは残っていた。他に私の好きなもので、他人が発信してなさそうなこと…。スイカ割り。ふとその言葉が浮かんだ。スイカ割り、これだ、私はスイカ割りが好きだ。スイカ割りを徹底的に突き詰めれば、一握りの存在になれるかもしれない。再びリサーチを行う。「日本すいか割り推進協会」…?またか。また先駆者がいるのか。しかも今度は明確に「公式ルール」と銘打ってすいか割りを定義している。この状況下でスイカ割りを突き詰めることこそ、この協会の下で踊ることになる。やはり気が乗らなかった。何か…何か発信できることはないか…。

 

 どのぐらい時間がたったか分からない。ようやく私だけが発信できることが見つかった。「ハエたたき」。これだ、これしかない。ハエたたきを突き詰めて、発信すれば、これは私だけの特権だ。そのうち「日本ハエたたき協会」を創立し、メディアに出て、本を出版して、名を轟かせてやる。ここまで考えて、ふと我に返った。私は「好きなもの」を伝えたいのではなかったか。私はハエたたきが好きかと言われたら、もちろん好きなものではない。いつしか、「好きなもの」ではなく、「誰も発信していないもの」を探すようになっていた。これは結局、私も誰かの上に立ちたかっただけではないか。誰かより優位な立場に立ちたいがために、自分の好みを利用しようとしていただけではないのか。そう思い至ったことで、ハエたたきへの関心は無論、発信欲もおさまってしまった。

 

 ある日、友人からおすすめのグミについて尋ねられた。私はこう答えた。

「私なんかより詳しい人はたくさんいるから、ネットで調べた方が早いよ。」